范雲
publish: 2021-11-02, update: 2026-04-19
451年-503年。字は彦龍。范抗の子。竟陵八友の一人。はじめ宋の郢州の属官を務めた。斉が興ると蕭子良に仕えて累進し、蕭子良の信任を得て蕭衍と交友を結んだ。蕭衍が挙兵して梁を起こすと、沈約と共に梁朝初期を補佐した。病没。
関連
陽裕
生没年不詳。字は士倫。陽耽の甥。幼少に父を亡くし早くから自立した。幽州刺史和演の主簿となったが、王浚が和演を殺害して実権を握ると疎まれた。その後、段部、後趙と仕官先を変えながらも名声は高まり、後趙の段遼攻撃中に前燕に捕縛され慕容皝に取り立てられた。慕容皝の代に病没。
高湛
537年-569年。北斉の第4代皇帝。武成帝。高歓の第9子。兄高演が落馬で重体となると、帝位を譲られて即位した。贅沢を尽くして、強引な賦役を課し、和士開などの奸臣に専横を許すなど、朝廷内の腐敗を促進させた。子の高緯に帝位を譲り太上皇帝となった。病没。在位4年。
趙廞
?-301年。字は叔和。祖先は張魯に従ったが、張魯が曹操に降伏してから趙に移った。県令、郡太守を歴任して司馬倫からの評価を得、益州刺史、大長秋まで昇った。賈氏が誅殺されると婚姻関係にあった自らの立場を危ぶみ、李特ら流民を私兵として益州の占有を図った。配下の鎮撫に失敗し李特の攻撃を受け横死した。