范雲
publish: 2021-11-02, update: 2026-04-19
451年-503年。字は彦龍。范抗の子。竟陵八友の一人。はじめ宋の郢州の属官を務めた。斉が興ると蕭子良に仕えて累進し、蕭子良の信任を得て蕭衍と交友を結んだ。蕭衍が挙兵して梁を起こすと、沈約と共に梁朝初期を補佐した。病没。
関連
高歓
496年-547年。字は賀六渾。高樹生の子。懐朔鎮の出身。六鎮の乱では杜洛周や葛栄に従い、最終的に爾朱栄に属した。爾朱栄の死後は爾朱氏の内訌を収めて北魏の実権を握った。元脩の出奔後は元善見を擁立して西魏と度々争うが大勢は拮抗した。病没。
干宝
?-336年。字は令升。汝南郡新蔡県の人。干統の孫。干瑩の子。代々呉の官吏を務めた。王導の推薦を受けて史官となり、国史を編纂した。著作郎を経て散騎常侍まで昇る。幅広く著作を残し、『晋紀』『周易注』『春秋左氏函伝義』『周官礼注』『捜神記』がある。
王曇首
394年-430年。字は子陵。琅邪郡臨沂県の人。王珣の子。劉義隆に仕えて属官として昇進し、劉義隆の即位に伴って中央に入り、侍中、驍騎将軍を務めた。王華らと共に劉義隆政権の確立に務め、その功は多大であった。兄・王弘が劉義康から妬まれたとき、兵を分配することを勧めた。