仏図澄
publish: 2021-08-19, update: 2026-04-19
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232年-349年。姓は白。亀茲国、または天竺の出身。石勒、石虎からの信頼を得て、仏教を急速に普及させた。訳経を行わず神異僧に数えられるが、その布教は高邁な教義や神異の力ではなく、日常生活に則した生活態度を根本とした。門下からは多数の高僧を出し、仏教の源流となった。
関連
姚襄
331年-357年。字は景国。姚弋仲の子。姚萇の兄。父の死後、前秦と戦いつつ河北を南下した。淮南に駐屯して東晋の藩屏を成したが、東晋の揚州刺史・殷浩と対立し前燕へ帰順した。許昌、洛陽、平陽と徐々に西進し、関中の攻略を目論んだが、苻黄眉らに敗北し処刑された。
拓跋寔君
生没年不詳。拓跋什翼犍の庶長子。庶子という不安定な立場を拓跋斤に唆され、前秦に対して敗色が濃厚になりつつあった混乱を利用して拓跋什翼犍を殺害した。その後、前秦勝利の大勢は変わらず、捕縛され長安にて処刑された。代の領土は東西に分割され匈奴の鉄弗部と独孤部によって統治された。
蓋延
?-39年。字は巨卿。漁陽郡要陽県の人。身長八尺、三百斤の強弓を引いた肉体の持ち主。漁陽太守・彭寵の下で営尉、護軍都尉を兼任した。彭寵とともに劉秀に従い偏将軍、列侯となった。将軍職の上位にあり多くの遠征を指揮した一方で、血気盛んで非法が多かった。虎牙大将軍、安平侯。