苻洪 ( ふこう )

publish: 2021-04-26, update: 2026-04-19

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284年?-350年。字は広世。元の姓を蒲とする。氐の出身。前趙、後趙に従い、石虎の代には使持節、都督六夷諸軍事、冠軍大将軍を受任し、西平郡公に封じられた。石虎の死後は冉閔と対立し、関中一帯に自立したが、麻秋に毒殺された。その勢力は子の苻健に引き継がれ、前秦の実質的な創建者と捉えられる。

関連

斛斯椿

495年-537年。字は法寿。斛斯敦の子。爾朱栄の配下として転戦して爾朱氏から信任を得た。韓陵の戦いでは高歓を討つために戦うが、敗北後は寝返って爾朱彦伯、世隆兄弟を襲撃して殺害した。後に高歓に対して不安を抱き、保身から元脩と高歓の対立を煽った。西魏の重職を歴任して病没。

侯景

503年-552年。字は万景。侯標の子。出身は定かではない。爾朱栄の部将として頭角を現した。爾朱栄の死後は高歓に従って河南大行台を務めて河南の軍事を監督した。高澄に疑われて謀反し、後に侯景の乱と呼ばれる中華全土の勢力図を書き換える契機を作った。建康陥落後に皇帝を称するが、王僧弁らに追われて敗死した。

孫騰

481年-548年。字は龍雀。孫機の子。爾朱栄および高歓に従った。高歓に元朗を擁立するよう勧めた。主に高歓の後背を守った。高歓の信任を得て顕職に昇る一方で、素行の悪さを高歓にしばしば譴責された。病没。四貴の一人。

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