庾信 ( ゆしん )

publish: 2021-11-02, update: 2026-04-19

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513年-581年。字は子山。庾肩吾の子。徐摛、徐陵親子と共に詩文に長けて、その詩は徐庾体と称された。侯景の乱が起こると江陵へ逃げるが、西魏の攻撃で江陵が陥落すると、多くの官民と共に長安へ拉致された。長安に抑留されつつも文人として活躍し、江南を哀惜する名作を残した。

関連

魚豢

生没年不詳。雍州京兆郡の人。魏の郎中となるが、そのほかの事跡は不明。私撰である『魏略』、および『典略』を著した。著書のほとんどは唐代後期に散逸し、現存ずるものはごく一部であるが、正史『三国志』を始め、他の史書の引用、転載として継承されたと考えられる。倭国に関する最古の記述と目される。

欧陽詢

557年-641年。字は信本。長沙郡臨湘県の人。欧陽紇の子。父・欧陽紇が嶺南で反乱を起こして討伐されると、江総に匿われて養育された。陳の滅亡後は、隋、唐に仕え、王羲之以来の書法を研究した。初唐の三大家、楷書の四大家に数えられる。

夔安

?-340年。石勒十八騎の一人。天竺の出身であるが、遼東へ移り住んだ。傭兵稼業をする石勒と共に群盗となり各地を荒らした。石勒、石虎に従って文武を歴任した。晩年には、石鑑、冉閔、李農、張賀度、李菟ら五将を従え、荊州を攻めて東晋に名を響かせた。

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