皇甫真
publish: 2021-07-29, update: 2026-04-19
生没年不詳。字は楚季。安定郡朝那県の人。慕容廆に招かれて出仕した。慕容皝の不興を買って一時は免官となるが、後に復職し文武両道を示した。増長する慕輿根を痛烈に批判し慕容恪へ誅殺を促した。司空、太尉などの高位を歴任したが凋落の大勢は変えられなかった。前燕滅亡後は前秦の奉車都尉に任じられた。病没。
関連
傅俊
? - 31年。字は子衛。潁川郡襄城県の人。王莽政権で襄城の亭長を務め、劉秀を迎えて校尉となった。このとき母と弟を失い昆陽の戦い以後、服喪のため帰郷した。河北攻略中に邯鄲で合流した。劉秀の皇帝即位時には陰麗華を迎える使者となった。積弩将軍、昆陽侯。
段宏
生没年不詳。 南燕の尚書左僕射、後に徐州刺史。 後燕の中原喪失時に慕容徳に従った。 慕容超が即位すると公孫五楼による体制に不安を得て、慕容鍾、慕容法らと反乱した。 企ては失敗し北魏に逃れるが、後に東晋に帰順して功を成し、宋の征虜将軍、青州冀州刺史まで昇った。
許慎
生没年不詳。字は叔重。汝南郡召陵県の人。汝南郡の属官を経て、孝廉をもって中央に出仕し洨県県令、太尉南閤祭酒など務めた。経書を広く学んで五経無双と称された古文経学の大家。漢字の原理を六種類に分類する六書の説明は、著書『説文解字』が最古である。