劉顕 ( りゅうけん )

publish: 2021-04-26, update: 2026-04-19

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?-352年。石祗の属将。冉閔と戦って大敗を繰り返し、恐れるあまり石祗を始め重臣を殺害して冉閔に帰順した。一方で自立を目論み冉閔から離反するが、悉く敗れた。曹伏駒の寝返りで襄国に入城した冉閔によって処刑された。最終的に後趙に止めを刺した人物に当たる。

関連

元育

?-555年。淮安王。字は僧会。北魏の高陽王・元雍の子。献文帝・拓跋弘の孫。孝武帝・元脩に従って関中に入った。西魏の使持節、大将軍、大都督を兼任した。尚書・元烈が宇文泰に殺害されると、不満を漏らす元欽を泣いて諫めたが、宇文泰による元欽廃位を止められなかった。

王祥

185年-269年。字は休徴。琅邪郡臨沂県の人。王融の子。伯父・王叡が孫堅に殺害されると一族と共に廬江へ逃れ、以後仕官を固辞し続けた。60歳を過ぎて徐州刺史・呂虔の招聘に応じ別駕となった。以降、経歴は温県令に始まり大司農まで昇り魏の重臣となった。西晋では太保、睢陵公まで昇った。

区星

?-187年。賊の頭目だったといい、黄巾の乱以降、治安が悪化すると将軍を自称して長沙郡を中心に荊州南部を荒らした。零陵郡の周朝、桂陽郡の郭石らが同調したが、十常侍の偽勅で長沙太守に任命された孫堅が赴任すると、ひと月余りでまとめて鎮圧された。

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