李邽 ( りけい )

publish: 2021-07-29, update: 2026-04-19

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生没年不詳。遼西郡の人。もともと冉魏の趙郡太守を務めたが、前燕の南進が至ると降伏した。慕容恪に取り立てられ、後に豫州刺史を拝受した。前燕の斜陽が深まるなか東晋の桓温の糧道を断った。前燕滅亡後は前秦の尚書となるが、以後の事跡は定かではない。

関連

夏侯玄

209年-254年。字は太初。豫州沛郡譙県の人。夏侯尚の子。昌陵郷侯。太常まで昇る。若くして名声を高めて曹叡からはその軽薄さを嫌悪された。興勢の役として蜀へ出兵するが成功しなかった。九品官人法の実務を批判した。李豊、張緝らと司馬氏一党を除く政変を企み露見して処刑された。

王弥

?-311年。字は子固。王頎の孫。洛陽を留学したとき劉淵と親交を深めた。劉柏根が東莱で挙兵するとこれに従った。劉柏根の死後は青州、徐州を中心に反乱を継続するが、まもなく劉淵に従った。西晋の洛陽を陥落させ、大将軍、斉公まで昇るも、石勒と対立し誅殺された。飛豹と称された。

蘇峻

?-328年。字は子高。長広郡挺県の人。西晋の安楽相・蘇模の子。永嘉の乱では掖県にて塢壁を築き、内外の評価を得た。青州を実効支配した曹嶷の討伐を受けると広陵へと避け、東晋の麾下に入った。王敦の乱で功績を挙げ高位に上ると、庾亮に異心を疑われ反乱した。一時は建康を落すも陶侃らの反攻を受け敗死した。

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