顔之推
publish: 2021-11-02, update: 2026-04-19
531年-591年。字は介。顔協の子。学識と文才に長じて蕭繹に仕えた。侯景の乱とその後の混乱により、梁、西魏、北斉、北周、隋と5つの王朝を生き延びた。子孫に対する家訓として『顔氏家訓』を著した。顔真卿は来孫にあたる。
関連
劉炟
57年-88年。章帝。後漢の第3代皇帝。劉荘の子。儒学を好んで寛容な政治を布き経済発展に寄与したほか、外征でも積極策を前代から継承した。儒学への傾倒は経典解釈の議論へ自ら参加するほどであった。馬皇太后の死後、皇后・竇氏が側室を誣告して自死させるなど外戚の強権が目立ち始めた。
鮑照
414年-466年。字は明遠。東海郡襄賁県の人。貧しい家柄に生まれ、臨川王・劉義慶に仕えたほか、臨海王・劉子頊の下で前軍参軍を努めた。劉子頊が反乱すると、混乱のなか殺害された。詩人として高名で、その作風は通俗的と批判される一方で、躍動的にして新奇的であり、後世に大きな影響を残した。
耿宝
?-125年。字は君達。右扶風茂陵県の人。耿襲の子。耿弇の弟・耿舒の孫。妹を清河王・劉慶の王妃とし、安帝・劉祜の外戚となる。劉祜の親政により大将軍となるが、樊豊ら佞臣の増長を抑えられず、劉保の廃太子、楊震の免官を引き起こした。劉祜の死後、権力掌握を目論む閻氏一族によって投獄され自殺した。