王球 ( おうきゅう )

publish: 2021-08-08, update: 2026-04-19

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393年-441年。字は倩玉。琅邪郡臨沂県の人。王謐の子。王導の玄孫。太守として統治に優れ、中央に入って侍中、州大中正、中書令を歴任した。権臣との過度な交流を避け顔延之ら文人との交友を持った。持病のため解任されたが無官のまま劉義隆の諮問が絶えなかった。

関連

陸法和

?-558年。出自は定まらない。貧道を自称して多数の弟子を取った宗教指導者。侯景が乱を為すと蕭繹に従い、任約や蕭紀を相手に戦った。蕭繹の即位と共に累進するが、指導者の立場を崩さず独自路線を採り、西魏が江陵を制圧すると北斉の高岳に降った。高官を務めつつ道士として全うした怪人物。

慕容農

?-398年。後燕の遼西王。慕容垂の子。前秦への亡命、前秦からの独立では常に父に従った。河北辺縁を攻略し前燕の旧都・龍城に駐屯し統治した。各地の平定に貢献したが、参合陂の戦いの敗北後は施政も乱れた。慕容垂の死後、一族が散り散りになる中で慕容宝を支えたが、段速骨の反乱に降伏、暗殺された。

禿髪傉檀

365年-415年。南涼の第3代王。景王。禿髪思復鞬の子。禿髪烏孤・禿髪利鹿孤の弟。南涼の都督中外諸軍事。禿髪利鹿孤の病没により王位を継承した。乞伏熾磐が出奔したときその妻子を解放した。北涼を攻めるも攻略を果たせず西秦の攻撃に降伏した。後に毒殺された。

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