王僧弁 ( おうそうべん )

publish: 2021-11-02, update: 2026-09-05

?-555年。字は君才。王神念の子。父の代に北魏から梁へ亡命した。蕭繹に仕えて竟陵郡太守となった。侯景の乱では、蕭誉を討伐し、次いで陳霸先と協力して建康の奪還に成功した。蕭繹が江陵で敗死すると、帝位の正統を廻って陳霸先と対立し、陳霸先に殺害された。

関連

賈復

?-55年。字は君文。南陽郡冠軍県の人。王莽政権では県令を務めた。更始政権における漢中王・劉嘉の校尉となったが、劉嘉の勧めで河北を攻略する劉秀に仕えた。生涯無敗。天下平定後は軍縮に務めた。人となりは剛毅で節義に富むと評される。左将軍、膠東侯。

司馬曜

362年-396年。字は昌明。東晋の第9代皇帝。孝武帝。司馬昱の第6子。父司馬昱の死後、桓温の権勢が続く中で王坦之、王彪之、謝安の尽力で即位した。治世は淝水の戦いで前秦を崩壊させるなど東晋の全盛期となったが、謝安の死後は後宮に入り浸り張貴人に暗殺された。在位24年。

侯景

503年-552年。字は万景。侯標の子。出身は定かではない。爾朱栄の部将として頭角を現した。爾朱栄の死後は高歓に従って河南大行台を務めて河南の軍事を監督した。高澄に疑われて謀反し、後に侯景の乱と呼ばれる中華全土の勢力図を書き換える契機を作った。建康陥落後に皇帝を称するが、王僧弁らに追われて敗死した。

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