蕭宝寅 ( しょうほういん )

publish: 2021-08-07, update: 2026-08-22

?-530年。字は智亮。斉の第5代皇帝・蕭鸞の子。斉の諸軍事、刺史を歴任したが、兄・蕭宝巻が蕭衍に殺害されると北魏へ亡命した。梁への南征に従軍して武功を積み、晩年は関中を鎮めた。北魏が乱れると皇帝を称して独立したが勢力を維持できず、爾朱天光に捕縛された。旧功のため助命の嘆願もあったが処刑された。

関連

黄泓

284年?-381年?。字は始長。魏郡斥丘県の人。黄沈の子。永嘉の乱が起こると薊へ避難し、王浚を昏暴と評し慕容廆に仕えた。天文学に通じ、学者として史官や太史令を務めた。その学識から歴代の謀主や参軍などの相談役、軍師職を兼任した。前燕滅亡時まで健在だったが老齢のため前秦には仕えなかった。享年97という。

慕容木延

生没年不詳。魏晋時代の鮮卑慕容部の大人。莫護跋の子。慕容廆の祖父にあたる。左賢王の地位にあり、毌丘倹の高句麗討伐に協力して功を立てた。

応瑒

?-217年。字は徳璉。汝南郡南頓県の人。応珣の子。曹操の辟召に応じて丞相掾属、後に五官中郎将文学となった。弟の応璩と共に文名が高く、曹丕や曹植から高く評価された。華北で大流行した疫病のため没し、著作は伝わらない。

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