徐羨之 ( じょせんし )

publish: 2021-08-08, update: 2026-04-19

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364年-426年。字は宗文。東海郡郯県の人。徐祚之の子。東晋の太子少傅の主簿を務め、桓玄が楚を興すと劉裕の挙兵に従った。劉裕の死に際し傅亮、謝晦、檀道済と共に劉義符の補佐を遺言された。劉義符の廃位を進め劉義隆を即位させた。やがて専横が目立つようになり、劉義符殺害の罪を問われて自害した。

関連

陸機

261年-303年。字は士衡。呉郡呉県の人。陸抗の子。始め呉の牙門将となったが、滅亡と共に隠棲し10年に渡って在野で学問にはげんだ。招聘されて張華、賈謐と親交を結んだ。司馬倫の政変に協力したために罪を得たが司馬穎に救われた。司馬穎政権に参与して讒言を受けた司馬穎に処刑された。

陶潜

365年-427年。字は淵明。陶侃の曾孫。393年以降、断続的に東晋の属官として出仕するが、官吏の職務を嫌い彭沢県の県令を最後に隠遁生活に入った。晴耕雨読の中で詩文を残し、桃源郷の語源を作った。その詩業は世俗から離れた理想を表現したものとして評価が高い。陶淵明の名で知られる。

傅俊

? - 31年。字は子衛。潁川郡襄城県の人。王莽政権で襄城の亭長を務め、劉秀を迎えて校尉となった。このとき母と弟を失い昆陽の戦い以後、服喪のため帰郷した。河北攻略中に邯鄲で合流した。劉秀の皇帝即位時には陰麗華を迎える使者となった。積弩将軍、昆陽侯。

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