蕭子良 ( しょうしりょう )

publish: 2021-08-09, update: 2026-04-19

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460年-494年。字は雲英。竟陵王。蕭賾の第2子。斉代随一の文化人で各種の書物や仏典に通じた。自邸である鶏籠山の西邸には当時の文人たちが多く集まり、著名人は竟陵八友と称される。蕭賾の死後、王融らに擁立される動きがあったが、権力闘争を避け実現しなかった。間もなく死去。

関連

李忠

?-43年。字は仲都。東萊郡黄県の人。もと高密国の郎。王莽政権では信都郡の尉、劉玄政権では信都郡の都尉を拝命した。信都郡太守の任光に従い劉秀を迎えた。龐萌、董憲の討伐に加わり、後に江南に移って広く開墾した。略奪を行わない厳正さと、激しい忠義を持った。豫章太守、中水侯。

蕭鸞

452年-498年。字は景栖。蕭斉の第5代皇帝。明帝。蕭道成の兄蕭道生の第2子。父蕭道生の死後は蕭道成に養育された。蕭昭業、蕭昭文を相次いで廃位、殺害し皇帝に即位した。政治行政に有能を発揮したが、蕭鏘の粛清や蕭賾の子孫を断滅するなど猜疑を重ねた。在位4年。

蕭宝融

488年-502年。字は智昭。蕭斉の第7代皇帝。和帝。蕭鸞の第8子。人心を失った蕭宝巻打倒を目指す蕭衍に擁立されて皇帝に即位した。蕭衍が蕭宝巻を殺害して建康を平定すると、蕭衍に皇帝の位を譲った。蕭衍により巴陵王に封じられるがまもなく殺害された。在位1年。

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