劉衛辰
publish: 2022-03-27, update: 2026-04-19
?-392年。匈奴鉄弗部の大人。劉務桓の子。赫連勃勃の父。鉄弗部を率いて代と前秦の間で離合集散を繰り返した。前秦の攻撃で代が滅亡すると、代の東西分割に伴って西単于に封爵された。前秦が崩壊すると西燕、後秦、後燕と外交して北魏と争ったが、北魏に本拠・代来城を攻略され殺害された。
関連
孟宗
?-271年。字は恭武。江夏郡の人。李粛に学問を学び、朱拠の属官となった。呉県令を務める間に母を亡くした。職務を放棄して喪に服したため、処刑されそうになるが陸遜の助命により減刑された。孫亮の廃位に関わり、司空まで昇った。母に筍を食べさせた逸話から孟宗竹の語源となった。
沮渠牧犍
368年-433年。北涼の第2代王。実質的な創建者。武宣王。盧水胡匈奴の出身。後涼に従うが、西秦討伐の失敗により一族が誅殺されると段業を擁立して挙兵した。後に対立した段業を討って北涼を支配した。後涼、西涼、南涼、後秦、西秦、北魏と抗争した。病没。在位32年。
姚泓
388年-417年。字は元子。後秦の第3代皇帝。末主。姚興の第1子。弟の姚弼と後継争いのすえ帝位を継ぐが、その後も一族の造反が絶えず、夏や東晋の圧力の前に後秦は一気に衰退した。東晋の王鎮悪の攻撃に降伏し、建康にて処刑された。在位1年。