殷景仁
publish: 2021-11-23, update: 2026-04-19
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390年-441年。陳郡長平県の人。殷道裕の子。劉毅の属官を経て劉裕に従い、そのまま宋の成立と共に入朝した。当初は劉湛との関係も良好で、荊州に出向した劉湛の呼び戻しを推薦したが、後に一方的に劉湛からは憎まれた。病を称して家に留まること五年におよび、その間、劉義隆との書簡の往来で職務を全うした。
関連
孫秀
?-301年。字は俊忠。琅邪郡の人。初め潘岳に仕えたが、狡猾、貪淫と評され度々処罰を受けた。司馬倫が琅邪王の頃に仕え、文章を賞されて累進した。多くの謀事に関り、司馬遹の殺害、賈氏の誅殺など数多の凶行を主導した。朝廷を専断して諸王の挙兵を招き、内部から呼応した趙泉に斬られた。
禿髪烏孤
?-399年。南涼の創建者。武王。禿髪思復鞬の子。鮮卑禿髪部の出身。後涼に従ったが勢力を拡大させ続けた。呂光は禿髪烏孤の勢力を恐れて官位をもって懐柔しようとしたが応じず、王位を自称して独立した。落馬が原因で死去。
釈道安
314年-385年。姓は衛。常山郡扶柳県の人。12歳で出家し仏図澄を師とした。仏図澄の死後は各地を流転し門徒を増やした。襄陽に移って檀渓寺に住む頃には盛況した。前秦の襄陽攻略で長安に連行され、以後苻堅をパトロンとした。仏教の研究のほか、鳩摩羅什の招聘や東晋遠征の反対などの建言を行った。