慕容詳 ( ぼようしょう )

publish: 2021-10-19, update: 2026-04-19

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?-397年。後燕の開封公。慕容皝の曾孫。中山に鎮した。慕容宝と対立する慕容会が中山へ逃げると捕縛し処刑した。慕容宝が北魏に敗れて薊に逃れると、皇帝を称して建始と改元した。悪政と評されて長続きせず、慕容麟に攻められ殺された。

関連

応瑒

?-217年。字は徳璉。汝南郡南頓県の人。応珣の子。曹操の辟召に応じて丞相掾属、後に五官中郎将文学となった。弟の応璩と共に文名が高く、曹丕や曹植から高く評価された。華北で大流行した疫病のため没し、著作は伝わらない。

張芝

?-192年。字は伯英。敦煌郡淵泉県の人。張奐の子。崔瑗、杜度に師事して書を学び、草書に優れて草聖のひとりに数えられる。書道の別名である「臨池」とは、書に没頭するあまり庭の池が常に真っ黒であったことに由来する。生前から評価され鍾繇とともに王羲之以前における書の大家であった。

穆提婆

?-577年。漢陽郡の人。元の姓を駱という。駱超の子。父・駱超が謀反により処刑されると、母・陸令萱が後宮に入ったため、高緯に近侍した。後宮内に隠然たる実力を示し、皇后や外戚に対する皇帝の意向を左右した。北斉が滅ぶと北周に降ったが、のちに謀反を告発されて処刑された。

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