慕容詳 ( ぼようしょう )

publish: 2021-10-19, update: 2026-04-19

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?-397年。後燕の開封公。慕容皝の曾孫。中山に鎮した。慕容宝と対立する慕容会が中山へ逃げると捕縛し処刑した。慕容宝が北魏に敗れて薊に逃れると、皇帝を称して建始と改元した。悪政と評されて長続きせず、慕容麟に攻められ殺された。

関連

程遐

?-333年。石勒の挙兵に従い、早くから長楽郡太守を務めた。妹が石勒に嫁ぎ石弘を生んだため外戚として昇進した。張賓の死後その重職を継いだが、人格や能力は張賓に及ばなかった。石虎の横暴を度々上奏したが聞き入れられず、石勒の死後、石虎に誅殺された。

陳慶之

484年-539年。字は子雲。斉代から蕭衍に仕え、梁が建つと武功を重ねて昇進した。北魏の北海王・元顥を擁して北伐し洛陽を占領した。爾朱栄の反攻により洛陽を追われるが、その後も北魏戦線を支えた。武芸には疎かったが指揮官として非凡で、身に纏った白袍を畏怖された。病没。

豆盧寧

500年-565年。字は永安。昌黎郡徒河県の人。豆盧萇の子。後燕の北地王・慕容精の玄孫。爾朱天光、侯莫陳悦に順に従い、侯莫陳悦が討たれると宇文泰に従った。身丈八尺、容姿に優れて騎射を得意としたという。功を挙げてなお宇文護の傀儡政権でも失脚せず、楚国公まで昇った。同州刺史として在地で病没。

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