慕容詳 ( ぼようしょう )

publish: 2021-10-19, update: 2026-04-19

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?-397年。後燕の開封公。慕容皝の曾孫。中山に鎮した。慕容宝と対立する慕容会が中山へ逃げると捕縛し処刑した。慕容宝が北魏に敗れて薊に逃れると、皇帝を称して建始と改元した。悪政と評されて長続きせず、慕容麟に攻められ殺された。

関連

王球

393年-441年。字は倩玉。琅邪郡臨沂県の人。王謐の子。王導の玄孫。太守として統治に優れ、中央に入って侍中、州大中正、中書令を歴任した。権臣との過度な交流を避け顔延之ら文人との交友を持った。持病のため解任されたが無官のまま劉義隆の諮問が絶えなかった。

拓跋寔

?-371年。拓跋什翼犍の子。拓跋珪の父にあたる。母は慕容皝の娘で太子に立てられた。長孫斤が謀叛を起こして拓跋什翼犍に迫ると、身を挺して遮り深手を追った。長孫斤は捉えられ処刑されたが、予後が悪化し死去した。拓跋珪はその死後に生まれた。

張挙

?-351年。後趙の征北大将軍、太尉を歴任した。李農と親交が厚く、張豺と敵対する李農を逃がした。一貫して後趙の朝廷に従ったが、冉閔が国号を改めると、離反して襄国の石祗を頼った。石祗が冉閔に対して劣勢になると、前燕に援軍を求める使者となったが、石祗の死後、見返りの玉璽が偽物だと露見し処刑された。

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