慕容翰
publish: 2021-07-29, update: 2026-04-19
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?-344年。字は元邕。慕容廆の庶長子。父の寵愛を受け、大任をこなす才略を持ち徳望を集めた。庶子という立場から慕容皝に疎まれて、段部や宇文部に亡命した。後に慕容皝に迎えられて帰国し厚遇されたが、病床に伏せるようになると讒言を信じた慕容皝に賜死を受けた。
関連
李績
生没年不詳。字は伯陽。范陽郡の人。李産の子。後趙の范陽郡功曹を務めた。後趙が混乱すると自立した王午に従い主簿となった。父・李産は既に前燕に降伏しており、節義を重んじた王午によって郷里に返され慕容儁に仕えた。昇進を重ねたが、慕容暐の不興を買って章武郡太守に左遷された。
顔之推
531年-591年。字は介。顔協の子。学識と文才に長じて蕭繹に仕えた。侯景の乱とその後の混乱により、梁、西魏、北斉、北周、隋と5つの王朝を生き延びた。子孫に対する家訓として『顔氏家訓』を著した。顔真卿は来孫にあたる。
張奐
103年-181年。字は然明。敦煌郡淵泉県の人。張惇の子。太尉の朱寵に師事するなど学問を志したが、梁冀の招聘を受けて以後は辺境諸国へ赴任した。異民族の鎮撫に長けて、西域や北方に名を轟かせて軍歴を重ねた。竇武らを敗死せしめたことを後悔し、度々宦官を弾劾してその都度謹慎となった。