慕容運 ( ぼよううん )

publish: 2021-07-29, update: 2026-04-19

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生没年不詳。慕容渉帰の子。慕容吐谷渾、慕容廆の弟。事跡に乏しいが子孫は興隆して、孫の慕容永は西燕最後の皇帝となったほか、同じく孫の慕容精、曾孫の慕容勝は姓を豆盧(とうろ)に変えて北魏から隋唐時代にかけて繁栄した。

関連

劉粲

?-318年。字は士光。前趙の第4代皇帝。隠帝。劉聡の次男。都督中外諸軍事、相国などの重要職を歴任した。皇太弟劉乂の存在により長らく皇太子に立てられなかったが、後に劉乂を謀殺し皇太子となる。劉聡の死後、皇帝に即位するも外戚の靳準に謀反され処刑された。在位3か月。

劉牢之

?-402年。字は道堅。劉建の子。前漢の楚元王・劉交の末裔。謝玄に招聘されて北府軍を率いて前秦と戦った。謝玄の死後は北府を引き継いだ王恭の配下となった。軍事を取っては常勝であったが政略は皆無であり、王恭、司馬元顕、桓玄を裏切り、最後は人望を失って憂憤のうちに自害した。

劉植

?-26年。字は伯先。鉅鹿郡昌城県の人。王郎が挙兵して河北が揺れたとき、昌城県を守って劉秀を迎え入れた。真定王劉楊との婚姻外交を行い、郭聖通との縁組を成立させた。これにより劉秀の河北における地盤を固めた。驍騎将軍、昌城侯。

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