慕容運
publish: 2021-07-29, update: 2026-04-19
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生没年不詳。慕容渉帰の子。慕容吐谷渾、慕容廆の弟。事跡に乏しいが子孫は興隆して、孫の慕容永は西燕最後の皇帝となったほか、同じく孫の慕容精、曾孫の慕容勝は姓を豆盧(とうろ)に変えて北魏から隋唐時代にかけて繁栄した。
関連
元宝炬
507年-551年。西魏の初代皇帝。文帝。拓跋宏の孫。元愉の子。元脩が高歓の排除に失敗して宇文泰を頼るとこれに従った。元脩が宇文泰に殺害されると代わりに擁立され即位した。実質は宇文泰の傀儡であった。東魏に対して軍事的劣勢が続くが、勢力は徐々に膠着した。在位16年。
賀抜勝
?-544年。字は破胡。賀抜度抜の子。初め爾朱栄に従って転戦するが、爾朱氏の内訌が起こると高歓に降った。まもなく高歓と敵対し荊州刺史となるが、北魏の東西分裂に際して東魏側の侯景に攻撃されて梁へ亡命した。その後西魏へ帰還して宇文泰に仕え、北周建国の功臣となった。
司馬紹
299年-325年。字は道畿。東晋の第2代皇帝。明帝。司馬睿の第1子。司馬睿の死去により即位する。緊張関係にあった王敦に討伐の勅命を出し、王敦の病死も重なって王敦の乱を収束させた。司馬昭による簒奪の経緯を知り皇統の存続を危ぶんだという。若くして病没。在位2年。