蕭正徳
publish: 2021-11-02, update: 2026-08-22
?-549年。字は公和。臨賀王。蕭宏の第3子。蕭衍の甥にあたり一時は蕭衍の養子とされたが、後に蕭統が生まれると後継から外された。侯景と通じて建康を陥落させた。侯景に擁立されて皇帝を称するが、すぐに侯景に廃された。鄱陽王・蕭範に内通するが露見して侯景に殺害された。
関連
赫連昌
?-434年。字は還国。夏の第2代皇帝。赫連勃勃の第3子。廃太子された赫連璝が立太子された赫連倫を攻撃し敗死させると、赫連璝を討って太子となった。西方では優位を維持したが、北魏に対しては各地で敗北を重ね安定で北魏に捕らえられた。助命されるが後に殺された。
黄泓
284年?-381年?。字は始長。魏郡斥丘県の人。黄沈の子。永嘉の乱が起こると薊へ避難し、王浚を昏暴と評し慕容廆に仕えた。天文学に通じ、学者として史官や太史令を務めた。その学識から歴代の謀主や参軍などの相談役、軍師職を兼任した。前燕滅亡時まで健在だったが老齢のため前秦には仕えなかった。享年97という。
禿髪傉檀
365年-415年。南涼の第3代王。景王。禿髪思復鞬の子。禿髪烏孤・禿髪利鹿孤の弟。南涼の都督中外諸軍事。禿髪利鹿孤の病没により王位を継承した。乞伏熾磐が出奔したときその妻子を解放した。北涼を攻めるも攻略を果たせず西秦の攻撃に降伏した。後に毒殺された。