羊徽瑜
publish: 2026-09-19, update: 2026-09-19
214年-278年。泰山郡南城県の人。羊衜の娘。司馬師の妻。羊祜の姉。聡明で才能と品行を兼備したと記録される。司馬師は前妻・夏侯徽が亡くなると後妻の呉質の娘とも離婚したために妻として迎えられた。子はいなかった。夏侯徽の皇后追贈を訴えた。景献皇后。
奇しくも弟・羊祜と同じ年に没している。 母は蔡邕の娘でこれを蔡琰とする説があるが定まらない。 この母に対しては晋が成立してから、済陽県君の称号と穆の諡が追贈された。
関連
拓跋寔君
生没年不詳。拓跋什翼犍の庶長子。庶子という不安定な立場を拓跋斤に唆され、前秦に対して敗色が濃厚になりつつあった混乱を利用して拓跋什翼犍を殺害した。その後、前秦勝利の大勢は変わらず、捕縛され長安にて処刑された。代の領土は東西に分割され匈奴の鉄弗部と独孤部によって統治された。
萬脩
?-26年。字は君游。扶風茂陵県の人。劉玄政権で信都郡信都県の県令となった。信都郡太守の任光に従い劉秀を迎えた。河北攻略、洛陽、南陽と転戦した。鄧奉の反乱によって宛で孤立し、間もなく病没した。右将軍、槐里侯。
庾冰
296年-344年。字は季堅。庾琛の子。一族と共に江南に移り、華軼の討伐に功を成した。蘇峻の乱では敗退して王舒の属官を務めたが、乱の鎮圧後は荊州に赴任する兄に代わって中央職を歴任した。幼帝の即位と後見を巡って何充と争った。庾翼の後援として江州刺史となった。病没。